2008年03月14日

 論 PR 7( 2つの物語 )

今回は前回に続いて、お話の引用ですが。

その前にクイズです。


 通俗作品は、軽薄であっても真情あふれていなければならないと思う。
 入り口は低く広くて、誰でも招き入れるが、出口は高く浄化されていなければならない。
 貧乏ゆすりの肩代わりや、低劣をそのまま認めたり、力説したり、増幅するものであってはならない。
 ぼくはディズニーの作品がキライだ。
 入り口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。
 ぼくには観客蔑視としか思えないのである。


上記は、誰が言った言葉でしょう?



作品はイロイロな物があっていい訳で
保守的なもの革新的なもの暴力やエロス、人類愛や子供向けのものと様々あるのが、健全な状態です。
唯、出来不出来のレベルはあります。

映画は表現であると同時に、興業です。
観客動員があってこそ意味があります。

しかしながら、客が入ればいいのか!というと、そうではなく。
昨今のハリウッド大作は、博打性が高く。
続けてこけると、会社が傾きかねません。

お金をペイさせるのが、最低条件であれば小作品でもいい訳です。
( 大衆芸術は、このお金に関する厳しさがあるから、優れた作品が生まれます。 )
大・中・小の作品があるのも、また健全な訳です。


ディズニーのアニメは、子供を対象しておりその為、作品創りに深さを求めない傾向があります。
私の論でも、大人と子供を分ける思想がどういう意味を持つか探求していますが
もしかするとディズニー作品は、欧米的な驕り主義・差別主義があるのかもしれません。
( ないかもしれません。 )

しかし上記の言葉を発した創り手は、結局自身の作品をディズニー配給で、全米公開していますから
個人のポリシーが資本主義の中では、通用しない現実を浮き彫りにしていますね。



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哲学者・梅香 彰さんの著書から
レ・ミゼラブル( あゝ無情 )のシーンを抜粋してるのを、抜粋して紹介します。
( なんじゃそれ?で、すいません )


・ ミリエル司教は、ジャン・バルジャンが自分の食器を盗んだのは承知の上で、それは自分がジャン・バルジャンに与えたものだといって、ジャン・バルジャンを救う。
 ミリエル司教は、こういってジャンバルジャンに銀の器を与える。


 司教は彼に近寄って、低い声で言った。

 「 忘れてはいけません、決して忘れてはいけませんぞ、この銀の器は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことは。 」

 何も約束した覚えのないジャン・バルジャンはただ呆然としていた。
 司教はその言葉を発するのに強く力を込めたのである。
 彼は一種のおごそかさを持ってまた言った。

 「 ジャン・バルジャンさん、あなたはもう悪のものではない、善のものです。 私が購うのはあなたの魂です。 私はあなたの魂を暗黒な思想や破滅の精神から引き出して、そしてそれを神にささげます。 」



・ しかし、ジャン・バルジャンは、すぐに一つの罪を犯してしまう。

 ジェルベー坊やがお手玉にしていた40スー銅貨が手から落ち、それがジャン・バルジャンの足元に転がっていった。
 座り込んで物思いにふけっていたジャン。・バルジャンは、なかば無意識のうちに、その40スー銅貨を自分の足で踏んでしまう。
 坊やはお金を返してもらおうと、ジャン・バルジャンのところにやってくるが、ジャン・バルジャンは無慈悲にジェルベー坊やを追い払ってしまう。

 やがて日が暮れかけてきたとき、ジャン・バルジャンは夕方の冷気を感じて歩き出そうとした。
 そのとき、彼は40スー銅貨を彼の靴跡に見いだした。
 彼は一瞬、電気に撃たれたようになった。
 彼は、自分が何をしたのかを鮮明に理解したのだ。


 彼は

 「 ああ! 」

 と嘆息をもらして、ある方向へ、少年の姿の消えた方へ、急いで歩き出した。
 百歩ばかり歩いたのちに、彼は立ち止まり、あたりをながめたが、何も見えなかった。
 すると彼はあらん限りの声を絞って叫んだ。

 「 プティー・ジェルベー! 」
 「 プティー・ジェルベー!! 」


 彼は口をつぐんで、待った。
 何の返事もなかった。


 ジャン・バルジャンが必死になって捜しても、ジェルベー坊やは見つからなかった。


 彼は遠くに目をやって、最後に一度叫んだ。

 「 プティー・ジェルベー!!
   プティー・ジェルベー! プティー・ジェルベー! 」


 その叫びは靄の中に消え失せて、反響も返さなかった。
 彼はなおつぶやいた。

 「 プティー・ジェルベー・・・ 」

 しかしその声は、弱々しくてほとんど舌が回らないかのようだった。
 それは彼の最後の努力であった。
 彼の膝はにわかに立っているのにたえられなくなった。
 あたかも何か目に見えない力によって悪心の重みで突然押しつぶされたかのようだった。
 彼はある大きな石の上にがっくりと身を落として、両手で髪の毛をつかみ、顔を膝に押しあて、そして叫んだ。

 「 ああ 俺は惨めな男だ! 」

 その時彼は胸がいっぱいになって、泣き出した。
 19年この方涙を流したのはそれが初めてであった。




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抜粋終了です。

まず、レミゼを知らない人の為に解説しますと・・・。

約150年前にフランスの作家、ビクトル・ユーゴが書いたフランスを舞台にした大河ドラマです。

で、ユーゴはこの小説が売れてるのかどうか心配で、出版社に問い合わせの手紙を送りました。
その文は、「 ? 」のみ。
で、出版社の返事は、「 ! 」で、バカ売れ!という事。

史上、最も短い手紙だそうだ。



物語ですが、少年時代のジャン・ヴァルジャンは、お腹を空かした兄弟の為に、パンを一切れ盗みます。
で、監獄へ。
脱走を繰り返した為、結局19年間牢獄に入れられる。
このエピソードは、19年ぶりに娑婆に出てきた時の話です。

梅香 彰さんの本では、司教が付いた嘘が真理かどうか?
というテーマで抜粋されています。


今回、私が更に抜粋した理由は、「 プティージェルヴェー! 」のシーンを覚えていなかったからです。
( 多分、ジェルベー坊や!という意味かな? )


 【 このシーンは凄い! 】


なのに覚えていなかった。
なぜだ?

梅香 彰さんの本でも、司教の嘘だけがテーマですから、「 プティージェルヴェー! 」は、いらない訳なのに、わざわざ抜いてある。
この論を書くにあたり、ウィキぺデアで参照したら「 プティージェルヴェー! 」はしっかり載ってました。


レ・ミゼは有名です。
ハリソン・フォードの映画「 逃亡者 」もこれがベースとなっていた筈。
( 正確には、元ネタのテレビドラマ「 逃亡者 」の元ネタ )
テレビドラマや芝居、映画として何度も描かれています。


しっかりと観た記憶はないんですが、何となく覚えてはいました。
ジャン・バルジャンの18年を描いていて、長編にありがちなラストまで知らないパターンの記憶です。

しかし、上記は前半のクライマックスです。
この40スー銅貨をはずみで盗んだ(?)事を、司教に懺悔し、ジャン・バルジャンは更生していきます。

とても大事なキッカケのシーンなんです。


ここで知りたいのは、他の人はどうなんだろう?
レミゼを知ってる人は、この「 プティージェルヴェー! 」のシーンは印象に残ってるのか?
なんです。





・・・えっと
特に思想としてこの論を書いている訳ではないので、ここら辺で終わっときたいと思います。


次回に補足として「 プティージェルヴェー! 」の感想を、書きたいと思います。
感慨深いものとして、ああ無情を抜粋しました。




「 ・・・ほら、腕の形に似たアレ。 」

「 アーム状ね。 」



 






 
posted by ギャラリーZzz 臓図 at 11:29 | TrackBack(0) |  【 論 パ ー ル ー ム 】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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