2008年01月09日

 論パレード・ルーム(1)

松浦亜弥と上戸彩の、W主演ドラマを創って欲しいね。
どちらも才能があって、もっと輝けるのに、メディアがそれを引き出せてないね。

残念。

いい俳優で、共演していないのは多い。
もっと役者に闘わせて欲しい。
北朝鮮の金をアメリカが凍結させているのだが、松坂投手の契約金はその金額より多い。
日本人の才能は、それぐらい優れているのに、日本ではステップアップができない。





この間、友人2人と神戸に行ってきた。
8歳年下と13歳年下なんだが、対等な関係で大事な友人だ。

この2人は特殊な才能を持つ為、一緒に居てて飽きない。
尚且つ、3人の会話の様はちょっとカッコ良い。

まあ、訳がわからん会話なんだが、8歳年下Kさん( バイト先では先輩だった )との会話を紹介しよう。


神戸の駅前に、D51機関車が展示してある。
彼は鉄道好きなので、当然観に行こうとする。

それを私は制した。




 「 ここは敢えて、観るのを我慢しましょうよ。」

Kさん
 「 何で? 」


 「 心理学で欲しいものが手に入らない時、代わりのもので我慢・満足させるのを代償行為と言います。 」
 「 ほら、そこに鳩の群れがいるでしょう。それで満足するべきです。 」

Kさん
 「 それは解かるけど、鳩が皆 飛んで行きましたよ。 」
 「 代わりにならなかったので、機関車を見ましょう。 」


 「 それは仕方がないですね。 」




まあ、こんな感じ。





昨日、タモリ倶楽部で空耳アワードやってたね。
木村カエラがゲストという、展開は珍しかった。

空耳VTRを観た後の流れで、面白かったのがこれ。



タモリ
 「 おじさんで童貞って、どう思います? 」

カエラ
 「 寂しいですね。 」




大人の意見でした。はい。

ベタな感想ですが、風俗産業は、この寂しさでも成立している。
近代は性ではなく、セックスがひとつの価値でもある。
どちらにしろ寂しい。

はい、逆も考えてみましょう。

「 おばさんで処女って、どう思います? 」


この表現、聞いた事ないでしょう?
性差に関しても、いずれ論じるつもり。
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2008年01月14日

 論パレード・ルーム(2)

 
≪ SNSで連載している論です。≫



過去の論で頂いたコメントを、しげしげ読んで・・・
客観が働き面白い。
( 皆さんやさしいですね。感謝! )


「 へー成る程ねー、知らなかったねーこれは! 」
「 誰だろ?このコメント書いたの? 」

と確認したら、自分だった。
知識や知恵が、怒涛の如く忘却されるバカです。



ここしばらくは書きかけのまま、すぐ載せている。
不親切な論だ。

論では、加筆・修正・削除も出来る限りしたい。
虚実をもっと織り交ぜたい。
嘘を述べる事で、正しい思考も構築したい。

去年の論なんか、自分以外誰も読まない訳だから、必要ないと言えば必要ない。

でもそれが、芸術・哲学を思考する人間の宿命であるし、ネットの世界はそれができる訳だ。
私の場合、低レベルで試しているのだが。
常に変化し観手を混乱させる表現。

ネットシステムは格差社会だ。





SNS内で、才能を探してよく検索をかけている。

その中で気がついたのは、やはり日本人は自画自賛が少ない。
自己卑下の文章が頻繁にある。
( 日本人は、ホント真面目だ。 )

この間テンションが下がり、自己卑下文を書いたのだが、やっぱり良くない。
自己卑下と内省は違う。

「 腐女子 」
「 ダメ人間 」


この様な負の言葉を、安易に使ってはダメだ。
オタクは文化ではない。


使うのなら、
「 猫を殺すのが大好きな、腐女子です。 」
とか
「 一億稼いでいますけど、ダメ人間です。 」
とか

能力を見せ付けて、グウの値も出させない様に、世間と闘い使うべきだ。

「 闘うのは嫌いです。 」

そう言った人は、四葉クローバー社会で貧民層へ直行か
玉の輿でセレブになって、ボランティアするだけだ。
( グローバルを捻ったら、変になっちった。 )

頭の回転で勝負できないなら、度胸で勝負だ!


 腐 女 子 は凄いです!


とか


 ダ メ 人 間 は真理です!


とか、声を大にして言おう。



色彩心理学の統計で、20歳ぐらいの若者は、暗い色を好む傾向があるというが
分析では、有り余るエネルギーを、中和させていると云う見解だ。

若い時は、全能感・万能感が強い。
自尊心も高い。


それがこの様な自己卑下に現れるとしたら、私達が私達をバカにしているからでは、ないだろうか。
( そうだろうか? )

日本人は農民気質だが、だからこそ
「 武士は食わねど高楊枝 」
という理想が生まれたんじゃないだろうか。

ダメでも腐ってても、大いに結構である。
大体人間なんか
その理想からすれば、絶滅の必要があるくらい矮小で
他の惑星を侵略する事が当たり前の愚生命である。


自己卑下を、いちいち言わなくて良い。
理想を唱え、夢を主張するだけで、現在の自分が未熟なのを主張するのである。





「 私はちょっと変わってる。 」
「 天然ってよく言われます。 」

も、大変よく見かける。
凄いね、そんなにたくさんいるんだね。
絶滅しない希少種だろうか?





・・・今回は、こんなとこで終わるね。




≪≪ 色彩についての補足 ≫≫
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2008年01月27日

 論パレード・ルーム(3)

 

若い頃よく
尊敬する知識人の見解を、人に話しました。
芸術で繋がる友人は、関心して聞きたがりました。

それ以外の普通の人達に、注釈を加えず自分の見解として、話した場合。
よく信じて貰えず、バカにされました。

今後、ちょっとやってみたいのは・・・
先にその人が、誰のファンかを聞いておいて、敢えて注釈を加えずに、その誰かの言葉を語る。
この時の反応を試して観ようかな、と思います。

まあ意地悪なんですが
相手が内容で判断しているのか、肩書きや見た目で判断しているのかが、これで解かります。

この意地悪を成立させる条件は、相手より勉強している事です。
イジメはくだらないのでしませんが、意地悪は好きです。





今、課題なのが、品と情報です。
目に見えないモノ・移り行く現象を、これまでの人類はモノに封印してきました。
音楽は、レコードやCDに。
風景・人物・出来事などは、絵画や本に描かれモノになった訳です。

近代文明は、産業革命からモノを創り・多くの人類に手渡してきました。
で、モノの最終形態が、パソコンになる訳です。
遠い後の世界では、このパソコン時代は人類のターニングポイントとして、歴史的価値を検証されるでしょう。

その渦中に私達はいます。

モノにしていくというのは、商品にしていく流れになりました。
品物です。
これまでの資本主義は、品主義だった訳です。


なぜ、この様な話をするかというと・・・表現の話なんです。

作品をパソコンで創る人が、これからの製作者として大多数をしめつつあります。

とても良いイラストを描く人が、ネット上にたくさんいて
「 ネットで拝見しました、是非、生で観たいです。 」
と、アクセスしたら
「 データーでしかありません。 」
となります。

少し前までは、平面作品をパソコンに取り込んで、情報を流す。
だったのが、最初からパソコンで情報にして流す。
作った品だったのが、品物では無くなったんです。

で、課題な訳です。


パソコンは品ですが、情報は品なんでしょうか?
時代の流れで、抗いがたい事なんですが、パソコンで作品を観ても、どうも心への浸透が薄いんです。
同じ、画像という機能をもつTVも、情報を流すだけなんですけど・・・・。


まあ、年寄りは時代の流れについていけない訳で、それはそれでいいんですが・・・
有り物をパワーアップさせる事が、最大の関心事の私にとって、これは考えてしまうんですよね。

 


 
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2008年02月17日

 論パレード・ルーム(4)

日記的導入ですいませんが、昨日久しぶりに頭痛でして、地獄でござんした。
ここ1・2年なかったんだけどね。
痛みは辛い。

頭痛は、大別して2種類に分かれるらしい。
冷やした方が良い頭痛
暖めた方が良い頭痛

暖める場合は、肩や身体を暖める、血行が悪い状態への改善という治療。
冷やした方がいいのは、頭を冷やす神経や炎症への治療。

私の場合は後者で、冷やす。
しかし、昨日はダブルで訳がわからん。
風邪を引き、肩こりと目の疲れで血行が悪いんだが、それが頭の神経に来てる感じだ。


冷やした方がいいタイプは、原因が脳にあるらしい。
これは、精密検査を受けないと解からない部類。
かといって、検査でも良く解からない部類だ。

まだまだ、頭部・脳への医療は進んでいないらしい。



レクター教授が脳みそを食べさせるシーンは、インパクト大だった。


症状って、その人の弱い部分・疲労が蓄積される部分・等などの
部分に現れる。
そう部分。

病気が個性を創り出す。
まあ、歪みが個性。

人という形状の中で、創り出された様々な部分。



しかし、なんだね。
困ったもんだね。
完全・完璧という概念があって、よく考えたらとても難しいね、パーフェクトの意味。

テレビで「 ジャッカル 」という映画をやってた。


「 ミスをしない人間なんかいないわ、だからあなたも捕まったんでしょ。 」

って言う、ロシアの諜報機関のねーちゃんは、完璧な概念の持ち主でした。はい。



脳つながりの話なんだけど。
とても悩むというか、ずっとストレスにとり憑かれるというか、グルグル同じ思考が回って、しんどい状態ってあるでしょ。
対人関係で起きたり、トラブルで起きたりする悩みという、アレね。

感情が思考を支配してね。
例えば、腹が立つ事があって、それが頭にこびりついて、思い出しては腹が立ち、また思い出しては腹が立つ。
で、ずっと腹が立つ状態が続く。

う〜ん、病み上がりだと、うまく表現できないなー。

今、伝えようとしているのは、悩みというジャンルで区分けした場合。
脳が出来事を反復したり、あーすれば良かったとか、これが悪かったんじゃないか?とかで、思考するんだけど、それで悩みが解決しない状態の話。

解決策を考えても、後日にそれを行なう場合、解決された事にならないから、行なうまで同じ事をまた考えるとか。




えっと、これでいいや。
これ。

「 悩みによるストレス 」

ストレスによる悩みではなく、悩みによるストレス。

これをどうやって、克服するか?
それが問題だ。


対処法では、無になる事かな。
しかし、無になる技術は、日常の中では長時間持たない。
私もできて1〜3分程度。

無になる技自体、あまり使わないので忘れがちだ。
悩みが頭をしめていると、無になるなんて考えないし。

坊主みたいに、修行で常時やっていないとダメだ。


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現代日本の仏僧は役に立たないな。

本来は、俗世から離れ厳しい修行を行なう事で、精神を鍛えるのが一つの仏僧スタイル。
しかし、グローバルな現代では変化が激しく、人類がかって体験した事のない苦悩を味わう訳で、そこと解離する平穏・静寂の寺では、現世は救えない。

戦地に赴く僧が、必要なのに。


一応、宗派によっては、厳しい修行を行なわないと、僧になれないものもあるが
( やってる事は軍隊と一緒なんだけどね )
土地もって税金の心配しない、町の僧なんて生臭の極みだ。


僧で信頼できる基準があるとすれば
現世に揉まれ欲にまみれ、苦しみ・のたうちの果てに仏に救いを求めた者。
そのプロセスで仏門に入った僧。


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「 悩み 」で病気とよく似ている点は
存在にダメージを与えるという事。
やがて悩みが消えるか、消えない場合は死を持って終わるか、慢性的にその悩みと付き合うか。


・水虫を治すのに掛かる時間は、どれくらいか?

発症して治療を始めるまでの期間掛かる。
と、云われる。
3年間水虫の人は、治すのに3年掛かる訳だ。



悩みは必要だが、ダメージは必要ではない。



人工頭脳(コンピューター)の開発は、人間の苦悩を解決する為に、人間の深層が求めたのかもしれない。



「 悩みの仕組み・克服の仕組み 」
考えないといけないね。


それでは。





 手塚水虫 ←ごめん、ちょっと言いたかっただけです。

 
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2008年02月27日

 論パレード・ルーム(5)

 

言葉には、印象・感じというものがあります。
いわゆるイメージです。

これは、辞書で引く意味や、多くの人が常識として括るものとは違います。
脳が、言葉に対して反応したものであり、是非はありません。


私が言語を論考する時、この反応に共通するイメージが、重要なテーマとなります。
( ユングが集合無意識と呼ぶものかな? )


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言葉には意味がありますが、本質としては方便にすぎません。

動機・感情が、言葉の意味を変化・決定付けます。


例えばここに、とても正直なA君がいるとします。

・Bさんは、A君に好意を持っています。
・Cさんは、A君に反感を持っています。

言葉はこうなります。

Bさん曰く
「 A君は、正直なので素晴らしい。 」
Cさん曰く
「 A君は、正直過ぎるのが欠点だ。 」


言葉の意味に力があるのでは無く、使う人間の力次第です。

言葉は技術に過ぎません。
課題は常に、精神となります。

 
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2008年03月06日

 論 PR 6( 2つの物語 )

 

≪ 07年4月にSNS書いたものです。 ≫ 

今回と次回は、お話を引用します。
( 内容は濃いかな? )



ひとつめ!

日本経済新聞社発行・「 美の巨人たち 」テレビ東京編 から

第2話で紹介されている.

大正の天才オリオンズ 村山槐多・関根正二・高間筆子
の、高間筆子についてより。



・画家の名は高間筆子(1900〜22年)。
大正11(1922)年に21歳で逝ってしまった人です。
その短い生涯の中で、多くの絵を残したといわれていますが、彼女の絵を実際に見た人すら、今はもう存在していないのです。


≪ 略 ≫

・家は「丸惣」という大きな回漕問屋で、幼い頃から稽古ごとに親しむという、商家の娘らしい少女時代を過ごしました。
何かに秀でていたわけでもなく、ごく普通の子供だったのです。

・劇的に変わったのは、女学校を卒業した2年後の18歳の時。
きっかけは、恐ろしい病でした。
当時、ヨーロッパでは流行性の感冒が流行っていました。
「 スペイン風邪 」と呼ばれたインフルエンザです。


≪ 略 ≫

・その年の秋、筆子はスペイン風邪に襲われたのです。
高熱に浮かされた彼女は、強度の興奮状態に陥ったといいます。


≪ 略 ≫

・闘病生活を経て、ようやく回復した筆子は、画家だった一番上の兄のアトリエに通い始めます。


≪ 略 ≫

・「 その頃日本画を少し描いていたのを私が見て、何か見つめてみるものがあるように思ったので、木炭のほうがお前にはよさそうだからと、木炭紙と木炭を与えたのです。 」

筆子は、張り付いていた心の膜が剥がれたように、突然、描き始めたのです。

≪ 略 ≫

・筆子は、取り憑かれたように絵に没頭していきます。
画材道具を箱車に詰め、病み上がりの熱っぽい体を抱え、つんのめるような姿で、外を駆け回っていました。


≪ 略 ≫

・人間を描きたいという欲求が強かったのか、筆子は、画学校で裸体画の教室に通い始めます。
彼女の目を虜にしたのは、男性の裸体でした。
ひるむことも恥じることもなく、食い入るように見つめたのです。
画家の萬鐵五郎をして、「 只事ではない 」と言わしめた筆子の裸体画。

≪ 略 ≫

・大正11年の4月。
筆子は展覧会に出品するために、猛然と絵を描き始めます。


≪ 略 ≫

・そして再び、スペイン風邪に襲われたのです。

  熱が出たから一そううまく
  描けるだらう あゝうれしい

また強度の興奮状態に陥ってしまったのです。
「 その時、筆子はふだんの寝巻姿のまま布団の上にきちんと正座して、例によって何か口の中でブツブツとつぶやいていました。 」
「 私が障子をしめて自分の部屋に戻ろうとしたとき、突然アァッとかウォォとかいう大きな声を発したかと思うと・・・・・・ 」
(次兄の高間米太郎氏の回想)

筆子は突発的に2階の窓から飛び降りたのです。
享年二十歳。

≪ 略 ≫

・筆子の絵は、関東大震災と戦災によってすべて失われ、一冊の詩画集だけが残されました。


≪ 略 ≫

・描いた時間は、病と病の間に生まれたわずか2年間。
まるで天から与えられた猶予の中で燃えさかった命です。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



抜粋終了です。

えっと・・・東京世田谷に・絵のない美術館「 高間筆子館 」・があるそうです。
世界でも珍しい美術館だそうです。
絵が無いからね。


特にたいした意味合いで、載せた訳ではありません。
( フィクションで、こういう部位が書ければ凄いなぁ )




タミフルという薬は、1996年開発です。

せん妄 (せんもう、譫妄)という、意識混濁で幻覚や錯覚が見られるような状態があります。
一過性のもので、これ自体は特に医学的に問題ないとされています。


わたくし事ですが一度、中学の頃、熱にうなされ精神興奮状態になり、駆け回り手の平にウジが湧く幻覚を体験した事があります。
( 幻覚に虫系が多いのは、ナゼだろう? )

随分後にせん妄という症状だと、解かったのですが。

多分、飢餓状態で見る幻覚も、これに類するものだと思います。


不思議なのが、メディアにおいて、マスコミや専門家が高熱に浮かされた時に、こういう症状が出る可能性を述べない事です。

上記の高間筆子は、2階から飛び降り命を亡くしました。
( 運が悪かったんですね )

住居の高層化・インフルエンザ流行の頻度・経験豊富な医師不足、等が重要な要因かも知れません。

今でも極たまに、結核に掛かる人がいるらしいですが、結核患者を診たことがない医師が殆どとなり、風邪や肺炎と誤診するそうです。



まあ、だから何だ?と思い、敢えて意味を探しますと。

タミフルを使おうが使わまいが、インフルエンザで飛び降りる可能性があるという事です。
( なぜ?飛び降りる行動が発生するのかも、謎です。 )




今宵はここまで。


注・抜粋部分は飛び降りに焦点を向けています。
  高間筆子がどの様な画業を行なったか等は、省いてあります。




・・・
 


≪08年の追記≫

タミフルが効かない、抵抗性インフルエンザの登場で、タミフル以外の薬が必要となってます。
テレビの情報によると、タミフル以外でインフルエンザに効く薬は、1種類しかないようです。

薬が問題なのか?
インフルエンザが問題なのか?

それを見極めましょう。

 



 
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2008年03月14日

 論 PR 7( 2つの物語 )

今回は前回に続いて、お話の引用ですが。

その前にクイズです。


 通俗作品は、軽薄であっても真情あふれていなければならないと思う。
 入り口は低く広くて、誰でも招き入れるが、出口は高く浄化されていなければならない。
 貧乏ゆすりの肩代わりや、低劣をそのまま認めたり、力説したり、増幅するものであってはならない。
 ぼくはディズニーの作品がキライだ。
 入り口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。
 ぼくには観客蔑視としか思えないのである。


上記は、誰が言った言葉でしょう?



作品はイロイロな物があっていい訳で
保守的なもの革新的なもの暴力やエロス、人類愛や子供向けのものと様々あるのが、健全な状態です。
唯、出来不出来のレベルはあります。

映画は表現であると同時に、興業です。
観客動員があってこそ意味があります。

しかしながら、客が入ればいいのか!というと、そうではなく。
昨今のハリウッド大作は、博打性が高く。
続けてこけると、会社が傾きかねません。

お金をペイさせるのが、最低条件であれば小作品でもいい訳です。
( 大衆芸術は、このお金に関する厳しさがあるから、優れた作品が生まれます。 )
大・中・小の作品があるのも、また健全な訳です。


ディズニーのアニメは、子供を対象しておりその為、作品創りに深さを求めない傾向があります。
私の論でも、大人と子供を分ける思想がどういう意味を持つか探求していますが
もしかするとディズニー作品は、欧米的な驕り主義・差別主義があるのかもしれません。
( ないかもしれません。 )

しかし上記の言葉を発した創り手は、結局自身の作品をディズニー配給で、全米公開していますから
個人のポリシーが資本主義の中では、通用しない現実を浮き彫りにしていますね。



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哲学者・梅香 彰さんの著書から
レ・ミゼラブル( あゝ無情 )のシーンを抜粋してるのを、抜粋して紹介します。
( なんじゃそれ?で、すいません )


・ ミリエル司教は、ジャン・バルジャンが自分の食器を盗んだのは承知の上で、それは自分がジャン・バルジャンに与えたものだといって、ジャン・バルジャンを救う。
 ミリエル司教は、こういってジャンバルジャンに銀の器を与える。


 司教は彼に近寄って、低い声で言った。

 「 忘れてはいけません、決して忘れてはいけませんぞ、この銀の器は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことは。 」

 何も約束した覚えのないジャン・バルジャンはただ呆然としていた。
 司教はその言葉を発するのに強く力を込めたのである。
 彼は一種のおごそかさを持ってまた言った。

 「 ジャン・バルジャンさん、あなたはもう悪のものではない、善のものです。 私が購うのはあなたの魂です。 私はあなたの魂を暗黒な思想や破滅の精神から引き出して、そしてそれを神にささげます。 」



・ しかし、ジャン・バルジャンは、すぐに一つの罪を犯してしまう。

 ジェルベー坊やがお手玉にしていた40スー銅貨が手から落ち、それがジャン・バルジャンの足元に転がっていった。
 座り込んで物思いにふけっていたジャン。・バルジャンは、なかば無意識のうちに、その40スー銅貨を自分の足で踏んでしまう。
 坊やはお金を返してもらおうと、ジャン・バルジャンのところにやってくるが、ジャン・バルジャンは無慈悲にジェルベー坊やを追い払ってしまう。

 やがて日が暮れかけてきたとき、ジャン・バルジャンは夕方の冷気を感じて歩き出そうとした。
 そのとき、彼は40スー銅貨を彼の靴跡に見いだした。
 彼は一瞬、電気に撃たれたようになった。
 彼は、自分が何をしたのかを鮮明に理解したのだ。


 彼は

 「 ああ! 」

 と嘆息をもらして、ある方向へ、少年の姿の消えた方へ、急いで歩き出した。
 百歩ばかり歩いたのちに、彼は立ち止まり、あたりをながめたが、何も見えなかった。
 すると彼はあらん限りの声を絞って叫んだ。

 「 プティー・ジェルベー! 」
 「 プティー・ジェルベー!! 」


 彼は口をつぐんで、待った。
 何の返事もなかった。


 ジャン・バルジャンが必死になって捜しても、ジェルベー坊やは見つからなかった。


 彼は遠くに目をやって、最後に一度叫んだ。

 「 プティー・ジェルベー!!
   プティー・ジェルベー! プティー・ジェルベー! 」


 その叫びは靄の中に消え失せて、反響も返さなかった。
 彼はなおつぶやいた。

 「 プティー・ジェルベー・・・ 」

 しかしその声は、弱々しくてほとんど舌が回らないかのようだった。
 それは彼の最後の努力であった。
 彼の膝はにわかに立っているのにたえられなくなった。
 あたかも何か目に見えない力によって悪心の重みで突然押しつぶされたかのようだった。
 彼はある大きな石の上にがっくりと身を落として、両手で髪の毛をつかみ、顔を膝に押しあて、そして叫んだ。

 「 ああ 俺は惨めな男だ! 」

 その時彼は胸がいっぱいになって、泣き出した。
 19年この方涙を流したのはそれが初めてであった。




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抜粋終了です。

まず、レミゼを知らない人の為に解説しますと・・・。

約150年前にフランスの作家、ビクトル・ユーゴが書いたフランスを舞台にした大河ドラマです。

で、ユーゴはこの小説が売れてるのかどうか心配で、出版社に問い合わせの手紙を送りました。
その文は、「 ? 」のみ。
で、出版社の返事は、「 ! 」で、バカ売れ!という事。

史上、最も短い手紙だそうだ。



物語ですが、少年時代のジャン・ヴァルジャンは、お腹を空かした兄弟の為に、パンを一切れ盗みます。
で、監獄へ。
脱走を繰り返した為、結局19年間牢獄に入れられる。
このエピソードは、19年ぶりに娑婆に出てきた時の話です。

梅香 彰さんの本では、司教が付いた嘘が真理かどうか?
というテーマで抜粋されています。


今回、私が更に抜粋した理由は、「 プティージェルヴェー! 」のシーンを覚えていなかったからです。
( 多分、ジェルベー坊や!という意味かな? )


 【 このシーンは凄い! 】


なのに覚えていなかった。
なぜだ?

梅香 彰さんの本でも、司教の嘘だけがテーマですから、「 プティージェルヴェー! 」は、いらない訳なのに、わざわざ抜いてある。
この論を書くにあたり、ウィキぺデアで参照したら「 プティージェルヴェー! 」はしっかり載ってました。


レ・ミゼは有名です。
ハリソン・フォードの映画「 逃亡者 」もこれがベースとなっていた筈。
( 正確には、元ネタのテレビドラマ「 逃亡者 」の元ネタ )
テレビドラマや芝居、映画として何度も描かれています。


しっかりと観た記憶はないんですが、何となく覚えてはいました。
ジャン・バルジャンの18年を描いていて、長編にありがちなラストまで知らないパターンの記憶です。

しかし、上記は前半のクライマックスです。
この40スー銅貨をはずみで盗んだ(?)事を、司教に懺悔し、ジャン・バルジャンは更生していきます。

とても大事なキッカケのシーンなんです。


ここで知りたいのは、他の人はどうなんだろう?
レミゼを知ってる人は、この「 プティージェルヴェー! 」のシーンは印象に残ってるのか?
なんです。





・・・えっと
特に思想としてこの論を書いている訳ではないので、ここら辺で終わっときたいと思います。


次回に補足として「 プティージェルヴェー! 」の感想を、書きたいと思います。
感慨深いものとして、ああ無情を抜粋しました。




「 ・・・ほら、腕の形に似たアレ。 」

「 アーム状ね。 」



 






 
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2008年03月16日

 40スー銅貨 補足

と、その前にクイズです。

以下の対談をしている2人は、誰でしょう?


[ A氏 ] 

 それでは体はどうかと言いますと、もし、皮膚の移植が必要で、親からもらって移植したとしてもあっと間に落ちてしまいます。
 親だろうが兄弟だろうが、自分の皮膚ではないのです。
 身体組織というものは、そのくらい細かく個人を区別してるんですよ。
 
 若い人が「 自分探し 」とか「 自己 」と言うのを聞くと、私は「 アホなことを言うんじゃねえ 」と思います。
 若い人が「 自分探しだ 」なんて言うのは、ラッキョウの皮むきと同じで、むいていけばなにもない訳です。
 自分探しをしたいなら、体を見れば分かるという事なんです。
 あなたの顔は隣の人と違うに決まっている訳で、それ以上何を心配してるんだ、ということなんです。


[ B氏 ]

 個性なんていうものは、体が規定しているんだから、コミュニケーションにおいては、安心して共通点を探していいんですよね。
 コミュニケーションにおいて、個性なんてあえて追求する必要はない。
 共通点を模索している中で、それとなく出てくるのが個性なのでしょう。






えっと・・・
前者のA氏は、まだメディアに出始めの頃、NHKの番組で手塚治虫がヒューマニズムでない事を伝えていて、私は
「 誰だ?この解かっている人は? 」
と思った人です。
B氏は、今NHKの番組で司会やってますね。


漫画家のみうらじゅんが、面白い事言ってて、それが

「 自分無くし 」

映画批評本で「 そこがいいんじゃない! 」をテーマに語るというものなんですが。
映画に没頭すると、その世界に入り込んで、自分を忘れちゃう。
映画の主人公になりきってしまったり。


まあ、いつの世も若い世代は何かに捉われる。
そこがいいんじゃない、と言えばそうな訳です。

探しているのは、何かに夢中になって自分を忘れている自分。
自信がないから自身を探す。

良くないとすれば、そこを悪どい大人に利用されたり、浅はかな妄信になったりする事・・・かな?



上記の2者は、心のメカニズムについてプロで、なぜそういう現象・反応が起きるのか?を、やはり探求していってますね。


恋愛でいうと、好きな人がなぜできるのか?
なぜ、好きから嫌いに変わるのか?
嫌で別れるのと、死に別れは同じ人同士の別れなのに、価値が変わるのか?

なぜ人類皆兄弟というタテマエと、あのハゲ親父がキモイという日常的感覚が共存できるのか?


感情の理由ではなく、その感情が起こるメカニズムと。
後これが難しいんですが、そこに論理が実はある。


最近、私が問題を解くキーワードが「 幸か不幸か 」なんですが。
殺人を犯し発覚した場合、まあ被害者は不幸な訳ですが、加害者も不幸ではないだろうか的な考えです。
( 殺すのが好きな人は別ね )


ですので、自分探しという流行で言えば、それが不幸でなければ別にどうでもいい事なんですよね。
唯、自分を捜さないといけない心の状態が現代として、それが年間3万人の自殺者を生む兆候の一つなら、それは不幸かもしれませんね。
( もしもの話ね )



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で、レミゼですが、補足はたいした話ではないので、あまり期待しない様に。


「 プティージェルベー! 」のシーンは地味です。

しかしながら、そこに真がある。
だから凄いと勝手にテンションが上がったのですが、物語を創る時
クライマックスってとても大事です。

そこに、創り手の言いたい事が、すべて集約されます。


ガラスの仮面という漫画があって、主人公の北島マヤとライバルの姫川亜弓が、ヘレンケラー役を交互に演じる事になる話があります。
ここで2人が悩むのが、ヘレンケラーの

「 ウォッウォッ!ウオーダァー! 」

のシーンです。
( 水ね )

確かサリバン先生が、井戸の水をヘレンにぶっかけたか何か?だったと思いますが、これをキッカケにヘレンは全てを理解する。
その最初の叫びが「 ウォーター! 」です。

ヘレンが世界を知った瞬間。

ジャン・バルジャンが真理を知った瞬間。


超クライマックス!です。

2人はどう演じればいいか悩むのですが、北島マヤは御祭りの水風船が弾けたのを見て
「 これだ! 」となり。
姫川亜弓は、洗濯機のコンセントを入れた瞬間、感電し
「 これだ! 」となる訳です。

( 余談ですがこのエピソード、姫川亜弓の描写がページ数が多かった。 )


これだ!のシーンはまさしく、発見のシーンな訳です。
これこそまさしく、自分探しの真骨頂です。

つまり世界・真理が、自分と繋がる瞬間を描いている訳です。


では、実際にこの様な瞬間が、多くの人の人生にあるかというと・・・
まあ無いです。

不思議な事に、この共感できない事柄に、私達は感動します。
( なんでだろう?また考えないとな )





なんにせよ、凄いシーンなんですが「 40スー銅貨踏み付け事件 」が、なぜ記憶になかったのか、そしてこのシーンがなぜクライマックスなのかを、ちょっと考えてみると。
( たいした考えでない事を、もっかい強調しときますね。 )

まず、なぜ記憶になかったのか?
それは、最初にも言いましたが、地味だからかもしれません。
冷静に考えると、何の事はない場面です。

子供が落としたお金が足元に転がってきて、気が付かなかった。
それだけです。

もしかしたら、結構舞台とかでは、この場面を省いてるんじゃないか?
と、最初思いました。
ウィキペディアにもわざわざ載ってますし、通常の感覚ではそれは、ありえない。

後、考えるとしたら、私がレミゼ知ったときが若かったからですかね。
物事にノーテンキな年齢だったから、かな?
なんのこっちゃ?と、思ったのかも知れません。

「 司教が情けを掛ける 」は解かり易いです。
覚えてました。

年取ったから、凄いと認識できたのかも知れません。


ジャン・バルジャンは兄弟愛からパンを盗み、19年 獄に繋がれた男です。
心はすさみきっています。
世の中を恨んでいます。

「 俺が悪いことをして、何が悪いか! 」です。

司教が警察に嘘をついて、銀の食器をくれた。
そりゃ呆然としますわな。
訳が解からない。
なぜ、赤の他人を救うのか?
なぜ、囚人だった自分を助けるのか?
( 多分、嘘というパラドックスが更なる隠し味になってると思いますが )


その謎が、40スー銅貨事件で、もっと大きな謎を解決させる蓄積となります。


同じシチュエーションで考えた時。
「 あーっ!このお金、さっき子供が落とした奴やわ、まあええか貰とこ。 」
という人も入る筈です。

ジャン・バルジャンは、自分に起こったこれまでの人生から、司教の謎が布石となり、このささいな事象で一気に、この世の真理に行き着きます。

人間の意図に関わらず、事象は起こる事を知ります。
そして、罪が成立する事を。
人が持つ逃れ得ない悲しみを知ります。


ジャン・バルジャンは、飢えた兄弟の為にパンを盗みました。
19年の監獄で心を失くした男が、ここに自分を取り戻したのです。
元々優しい男だったのです。


人間としての闘いに再び戻る・・・。

 【 復活のシーンです。 】



歪曲した説明かも知れませんが、罪が人間性・善意を浮かび上がらせる最大の道具として、レ・ミゼラブルは描かれているのかも知れません。




とりあえず、「 ああ無情 」を本屋で買ってきて、これから読みます。
( おいおい! )

 



 
posted by ギャラリーZzz 臓図 at 19:24 | TrackBack(0) |  【 論 パ ー ル ー ム 】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

 不完全ロンパ

最近、面白いネタを披露できなくて、申し訳ないです。


多分ここ2ヶ月で、20冊ぐらいは本読んでるのですが、もう内容を忘れています。
( もしかすると、ヤバイかも? )

良い本に出会うと、3冊本が書けます。
私の中の、多分50冊分ぐらいのネタが宇宙に消えていってます。
( ホントは10冊ぐらいだな・・・。)

意欲・記憶・時刻の問題が、神の手により刺客として送られているのかも知れません。





本は関係ないですが
忘れる前に、面白いネタを一つ。


昨日、20代の若者達と会いまして、そこで

「 曖昧な絶対 」

を、若干語ってしまいました。
思いつきで表した事なんですが、宜しければ皆様も試して下さい。


自分の知人か友人を目の前にして、こう言って下さい。




     「 あなたは確かに、そこに居ますよね? 」




そうです。
存在を疑う言葉です。

通常、存在への希薄な感じは、少年〜青年期の不安で感じる事です。
社会で働き始める時期、20代に入るとその感覚は無くなっていきます。
あまりにも世界は厳然としてある事。
それが当たり前になります。


更に、大人でも子供でも、具体的に相手の存在疑う言葉を発する事は、滅多にありません。

この様な台詞をワザと相手に発した後、相手をよく観て下さい。
目に映る相手がズームして、ピントがはっきりしますよ。


脳が存在の確証を得ようと、必死になります。



たまたま適当にやったら、こういう現象がある事に気づきました。
面白いね、世界って。



では、また。

posted by ギャラリーZzz 臓図 at 13:24 | TrackBack(0) |  【 論 パ ー ル ー ム 】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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