2008年03月03日

 障害と化粧と音声連動振動











障害と化粧と音声連動振動


・90年代後半 乙武 洋匡( おとたけ ひろただ )
がメディアに登場した。



まだ、やってない事は、とても多いのだけど。
その様な事は、機会があればやる人なんだね。
( 困ったもんだ・・・。 )

その内の一つが、障害を持つ人へのアプローチである。
私は、韓国・中国が嫌いだの、障害者が醜いだのと
まあ、ワザと言ってるのだが。
( 日本は非難されるのに、日本が非難してはダメ的なトコあるよね。 )

心に感じた事を、正直に出しているのも、事実である。
正直に、口に出す。
本人の前では、失礼だから言えないが。
( ネット上の匿名性は、世界的に日本がズバ抜けてるらしい。 )

障害を持つ人に、異質感を感じたり。
特に、知恵遅れ独特の風貌など、心は正直に醜悪だと感じる。

私も大人の端くれである。
当然、相手の立場になって考える。

知能障害の親になるかもしれない・・・とも想像する。
交通事故で、五体不満足になるかも・・・とも考える。

今、健常は、明日障害の可能性であり
その可能性は、生きる限り続き
年と共に確率は上がっていく。

私にとって、表現する両の腕・思考する脳みそ、これは変えがたい財産である。
まだ、腕はいいが
脳に関して・・・思考する事への障害、若年性認知症など、恐怖である。

その恐怖と闘っている人達がいる。

私の命で、それが救えるなら、なんぼでも差し出す。
しかし、そんなバカな行為で解決する様な、バカな問題ではない。

乙武さんの出現で、障害に対して新たな感覚を持った方は、多いであろう。

 テレビで顔のアップ。
 「 誰、これ? 」
 おしゃれなスーツを着た体が、映し出される。
 「 えっ? 」
 皆、一様に驚いた筈だ。


この事は
私の長年の妄想が具現化した、と云う事だった。



つづく
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2008年03月13日

 障害と化粧と音声連動振動 2











障害と化粧と音声連動振動 2


・集団・帰属意識も差別の根本である。



差別とは何であろう?

一度だけ、差別されたと感じた事がある。
26歳の時、ある集まりで私だけ外された。
怒りと憤りを感じた。

親が教育者のせいもあってか、身障者や差別に戦争について、子供の時から、ずっと考えてきた。
( うん、ずっと考えてこれたのは、幸せだな。 )
( 戦争の渦中では、じっくり考えるのも難しいだろう。 )

差別の定義については、ちょっと考えるか、本を読むかすれば解かる事なので、あえて書かないが。

私達の心には、差別に繋がる感情。
正確には、心の反応がある。

私は、その感情も大事にする。
そして自分の心(脳)を調査する。
( 現在の学問では、心は脳だけという狭い範囲でなく、身体やDNAで捉えようとしているらしい )

差別はダメ!
で終わる様な「 思考停止 」反応ではなく、もっと深く掘っていき、もっと先を見ないと、差別はいつまでも、無くならない。
( この行為を全人類がする事は、不可能。 )
( 差別をなくすには、思想ではないアプローチが必要 )

身障者は醜いと思う心、これは現象であり、正しい間違ってると云う事ではない。
問題は、人を傷つける行動に映すか、人間としての良心を重ねられるかである。


仏教では、自らの欲に苦しみ、のた打ち回って始めて悟りが開ける。





つづく

 
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2008年08月13日

 障害と化粧と音声連動振動 3

≪ 最強の障害者「 どろろ 」が映画化された ≫




今回は、難しそうに書いてみようか。

駅前で、知的障害
( 精神遅滞とも言うが、差別的という判断で現在日本では使われない。アメリカでは同意的な言葉が使われるらしい。 )
の、10代後半ぐらいの青年と、ボランティアであろうかの青年が、「 イエー! 」的な上機嫌テンションで、両者片手を上げ、パチン!と手のひらを合わせていた。

今、障害についての長年の思索を急速にまとめつつある私は
「 なんや、ちょっと羨ましいぞ 」
と、ちょっと思い、自分の中にある善意に、抵抗と素直さを感じた。


もし、私が著述業を営み、障害をテーマとした場合、幾つかの視点での調査が必要となる。
その一つが、地域・貧富別の調査だ。
善良と言われる、私達市民の残酷さをデーターで表したい。

略して説明すると
 [ 芦屋と尼崎の出生障害者の数と行政の対応について ]
の様なものである。

私は大阪の北摂で育ったのだが、大阪市内に移り住む様になって、気が付いたのが障害者とホームレスの数だ。
新興住宅街と古い街の違いのせいかもしれないが、そこに所得格差の臭いを感じる。
( アメリカではよく、富裕層が行う成金趣味としてのボランティアを皮肉として扱うが、そういう意識も検証したい。 )

現在の私達は、死を身近で感じる事は少ない。

殆どが家ではなく病院で死に、また医療技術の進歩や食料充実のおかげで長寿となり、死に付き物の不条理という現実から遠ざかっている。

( 死が在って始めて生があり、その死が隠された時、生が希薄になる。 )
( よって不条理な死を人間世界の補完とする為に、青年が異常な犯罪・また自殺に向かわすとも考えられるが、それはテーマが別なので、他の機会に。 )

医療技術の進歩は、異常胎児の発見を速やかにし、早期の堕胎( 人口妊娠中絶 )を可能とした。
これまでは生まれてきた筈の、受胎時からの先天的障害者を近代文明は、社会へのリスクと捉え( 厳密にはSEXをした男女と医者が判断 )抹殺か消去か隠蔽かは知らないが、数を減らす事に成功した。

日本の一億総中流という現在に於いて、貧富の差から派生する現象を説明するのは難しいが、考える必要はあるだろう。


で・・・
乙 武の登場した現在日本である。

40年くらい前の、身近に障害者や死がまだ多い時代に、彼の様な者が世間に現れたとしたら、私達はどう感じただろう。
( 手塚や石森などのマンガや、他の小説・映画など、昭和のなじみがある作品の中に、障害・異形は多く登場する。 )


私は、私達の善意という仮面は、生活の余裕を多くの人が享受しているから被れるのであって、06年の日本でも過酷な世界に移行すれば、すぐさま
「 かわいそう 」「 かわいい 」「 キレる 」
は消え去り、言語で表現する前に、差別を行動に移すと思っている。
( いい加減、他者と自分を別物だと思うのは、止めようよ。 )


さあ、次回はようやくオシャレでいくよ。





つづく





初出06年8月





【 ブログ記載に際しての追記 】

地域による障害者の数は、その地域での保障が充実しているかどうか?
という視点であろう。

しかしながら、古い( 汚い? )下町に障害者が多く感じるのは、大阪市街が単に汚いだけか?

結局、その後もこの視点は、研究せずです。
 
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2009年04月26日

 障害と化粧と音声連動振動 4

≪ 8月29日は、焼肉の日である ≫




さあ、毒を吐こうか!

もしも・・・読んだ人の中でザワザワ感が生じれば、ナノ影響を与えたと云う事で。


「 障害者は醜い 」発言で
私の心に微妙な違和感が生じたので、再度自分の脳をチェックして観た。

障害者( 主に知恵遅れ )が醜いと正直に言う、正道を思いたったのは、もうだいぶ昔。
違和感は年を取ったせいもあるだろうが、思考に修正を加えなくてはいけない事だ。
長く物事を凝視・分析する修行をしてきたせいで、微細な情報を感知出来る様になると、何事に関しても美しいと感じなくなってくる。

目に見える情報量の数だけを、脳は弾きだす。
障害者が醜いと言えるのは、情報の感知が優れている者が、成長過程で気づく事であり、やがて醜く感じなくなり、対象が只の現象としてインプットされる。


チェックした結果は、以下になる。

 その1 障害とは、外的障害と内的障害に別れ、内的障害は病ではないのか?

 その2 障害という言葉は、どこから生まれたのか?

 その3 障害・病の先は死であり、死を基準とした時、老いも醜悪の対象ではないのか?


つまり
青年の頃に感じた潔癖の正直・正道は、生が死を嫌悪する習性ではないのか?
と云う事である。

アニメ「 ガンダム 」の中で・・・
ララアと云う登場人物が、老いた白鳥を見ながら、哀れむシーンがあった。
( 台詞、何だったけ? )

病・障害・老い、そして生と死を順に考えていく事が、必要であり、その流れの中で美醜の判断は、あっさりとまた重くも考えなければならない。
繰り返しに・・・。
( 私の思考に必要だと云う事ですよ、他の人も考えろという訳ではないです。 )
( 考えなくても、死は訪れてくれるから )


 皆に、死は訪れてくれるから。

 皆に、死は平等に訪れてくれるから。

 そこに、あなたの意思は関係ないから。

 良かったね。


単純に醜いという表現は、まだ青年の論理である。
存在の美醜に関してまで突き詰めると、障害者は醜いとは云えない。

思考の修正があったので、前置きがとても長くなりました。


えっと・・・
乙武の次に、川崎 和男である。


産業デザイナーで、自身も車椅子に乗る外的障害者。
人工心臓・メガネ・車イスをオシャレにデザインする。

シンポジウムで同席の主賓・堺屋 太一を、スピーチで堂々と非難する。
川崎 和男、この男は間違いなく、剛の者である。


人類世界は、死を否定し障害を克服する、進歩の道を辿ってきた。
その結果、一部の先進国で長寿が、実現しているのである。

死を遠ざけ、生に強欲になる人類。
その最前線に、新たな展開をみせる者の一人、川崎和男である。

乙武や川崎和男や、パワードスーツの登場は、私の思索テーマの一つ、プロテクト論を多いに刺激する。


簡単に、プロテクト論を紹介すると


 ● 補助プロテクト

 ● 装飾プロテクト

 ● 武装プロテクト



等である。
( この3つ、早口言葉にもなるよ )



次回は、プロテクト論について。





つづく




初出06年8月
posted by ギャラリーZzz 臓図 at 20:52 | TrackBack(0) |   ・  障害と化粧と音声連動振動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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